原宿ゴローズ

去年末に原宿ゴローズのゴローさんが亡くなった。
私はゴローズのアクセサリーやレザークラフトが好きで、
自分でコンチョを鞄に付けたり、シルバーアイテムの組み合わせで徹夜したりなんて
よくやっていました、ただ好きだから。
最初に革細工を始めた時もゴローズのアイテムが確実に影響しています。

商品の魅力もさる事ながらゴローさんは、円(YEN)が恐らく今の3倍くらいの頃にアメリカで
インディアンの儀式に参加して、インディアンネームを貰ったという伝説のような話が有名です。
仮に今これと同じような事をあえてしようと思ったらどんな事すればいいの?
ちょっと大気圏位までの近めの宇宙に行って
地球とツーショットの写メ撮って帰ってくるくらい?(何のためだよ)

でもそこまでしてしまう美学とか、かっこよさへの追求がある人の世界観には
独自の匂いがあって、更に集まる人達のムードも魅力的なんです。
その匂いに惹きつけられてしまう私のようなヤツも沢山いる。

私自身は「モノ」はたかがモノ、されどモノという距離感が好きです。
そのバランスを失うとちょっと不自由な状態になってしまうので。
ただゴローズにハマっている時にはそのバランスを保てませんでした。
完全に「たかが」が抜けていました。恐らくあんな状態になる事は今後も無いでしょう。

でもそういう、興味の無い人から見たら、ちょっと異常な光景って世の中にいくらでもありますよね。

ラーメン屋さんに並んで食べて後、家でもやらないであろう、どんぶりを上げて、
テーブル拭いてごちそう様でした〜って出て来たり、
少女達のライブにおじさんが振り付け憶えて声張り上げて踊ったり、
新しいモデルのスマフォ発売日より何日も前から並んでみたり、
でもそういうオタク心やファン心理って味わえた方が幸せですよ〜。
こればかりはネットの中では味わえません。
人に迷惑かけなきゃ楽しんだもん勝ち!
他人の目を気にしすぎなければ、もっと色々選択肢が増えるんですよね〜。

少なくともそういうプチ勇気ある方々が悪G堂を面白がってくれているのは間違いない。
皆様に支えられながら今日も猫背でやってます。

20140116-195134.jpg

Kさん

今日、昔勤めていた会社でお世話になっていた、
上司のKさんが亡くなったのを知りました。
最初の会社でこの人に出会わなかったら、広告やデザインやモノ作りに
興味を持つ事もなかったし、全く別の仕事をしていたかもしれない。

Kさんは京橋にあったデザイン事務所に勤務していたコピーライターで、
当時、何も分かってない20そこそこの根拠なき自信だけで生きている
小僧にシゴトの楽しみ方を教えてくれた人。

シャブシャブ食った事ないと言ったら肉にこだわり夏しか営業してない店に
予約して連れて行ってくれた人で、

風邪引いて寝込んでる時に呼び出されて仕事して、夜飯食いながら一緒にいた
同期のやつに、「俺は病人なのにあのオヤジは鬼だーっ」て
元気に悪口言ってたら、なんと斜め後ろでそのオヤジが食べていて、
帰り際にオヤジが持ってたスポーツ新聞でパシーンっと頭叩かれながら、
「俺は風邪なんか病気だと思ってません。」と言いながら自分らのテーブルの
伝票を取っていってくれるような人で、

私が当時乗っていたバイクに乗らせろと勇ましく出て行き、
1時間後に無免許で捕まり、青ざめた顔で帰って来てびっくりさせてくれた人で、

コピーライターの養成講座へ行きなよ、と絵とか文字とか関係無いと、
広告の勉強を勧めてくれたのもこの人でした。

この上司には3年位お世話になって、Kさんは実家の仙台で独立された。

最後に会ったのは10年前位に仙台に行った時、はじめて事務所に
遊びに行った時で、その時に上に書いたような事をしてくれていたのって
いくつ位だったんですか?と聞いたら、30ちょいかな?と聞いてビックリした記憶があります。

震災の時に電話で話をしたのが本当の最後でした。
その時も「いや〜大変だよ〜、そっちはどうなの?仕事は」と逆に心配されてしまったっけ。

出会いで人生のレールがカチッ、カチッと切り変わって行くんだと思います。それゆえに人との出会いを甘く見てはいけないとつくづく思います。何が良い出会いかなんてその時はわかりません。Kさんの事も働いている時は、クソ〜っ!って事の方が多かったと思います。でも後から色々と自分に染み込んでる事を発見します。違う相手が鏡のようになって、初めて気がついたりします。
自戒の念を込めて、Kさんへの感謝と共に。

2014年もやるぞい。

靴みがかせておくれよぅ

「おじちゃん、靴みがかせておくれよぅ」

なんて、小さな少年に目ウルウルしながら言われたら、
私スニーカーでもやってもらっちゃいますね。
どうやらこの清川界隈で「靴磨き世界一へ挑戦」があるらしいです。

migaki

なんでも世界一ってすごい事です。

空飛ぶ上履き

私はかなり偏食があり小学生位まで肉と
卵とご飯しか食べられないような子供で
した。偏食モノは、自業自得なのですが、
集団生活の中でそこそこのトラウマを抱え
ていく事になるんですよね。

小学2年の時、嫌いなオカズの給食を
いつものように残していたら、その日は
優しい担任がお休みで、若い教育実習の
先生が帰りのホームルームまで、私の机の
上に給食セットを載せたままの状態で
(午後の授業ももちろんそのまま)帰り
のホームルーム前に「あなたが食べない
と、みんな帰れないのよ?」と脅しを
かけられた瞬間、反射的にトレーごと
ひっくり返してそのまま泣きながら家に
帰ってしまった事があります。追い詰め
られた小動物の悪あがき•••。

その時の上履きのまま外を歩く事の
不思議な感じを今でも憶えています。
フワフワと浮いたような感じ。
小学2年生が教室を飛び出してきちゃった
緊張感と外で使わないモノを外で
使っちゃう罪悪感で変にハイな状態で
なんか気持ち良かった事だけは今でも
憶えています。それが上履き(改)を
作ろうと思ったきっかけになったとかじゃ
ありません。偏食しない方が楽しい
学校生活が送れますよ、という話でした。

uwabaki_sora

面倒な選択

昨日、録画しておいた「NHK プロフェッショナル 仕事の流儀」で、
吉田全作さんというチーズ農家の回を見ました。
全国の名だたる料理人からオーダーが絶えない、美味しいチーズを作ってる方なのですが、
番組中「不器用で、効率の悪いやり方をずっと選択してきた」と話されていました。
そして「仕事で必ず訪れる「選択」の瞬間には面倒な方に正解が多い」とも。
これは、過去に色々な人も同じ事を言っている。
何度も聞く度に、またか…と思いながらも、これはもう真理なのだろうなと思います。
面倒な事には時間が掛かる。だから皆楽なほうを選ぶからその方法論で出来たモノで
世の中は溢れているので、遠回りしたモノとのちょっとした、でも全然違った出来に
驚きを感じるのかもしれない。
そして遠回りで生じる作業で「自分の時間」的なものも必然的に削られていく。
面倒な選択の人はマワリに合わせられないから、
そばに居た人が、1人、またひとりと消えていき結果孤独になっていく。
多分こういう人は小さな頃からずっと孤独と友達なんじゃないかな?
じゃなきゃやっていられないと思う。
(環境がブラックだかホワイトだか言ってる人も別の意味で無理だよね?)
「自分の時間」は年齢や環境によって様々ですが、この番組中でも
吉田さんの息子さんが、この「時間や効率の事」でお父さんをぶん殴って
出ていったと…(お父さん殴んなよ、息子よ)でも後になって父の行っていた事や
言葉が理解できるようになってきましたと言っていました。
そして吉田さんは自分の代では完成出来ないであろう宿題を息子さんと一緒に
始めていくんですよね、息子さんにもっと面倒な選択をさせるために。
本当の意味で優しいお父さん、親方としてはぶん殴りたくなるかもしれませんが。。
「誰か」の理想を語るんじゃなくて、「自分」の行動で示す、
こんな親父に私もなりたいものです。

まだ雨ですね。
写真

悪G堂とププッピ堂

昨日来店してくれた2人組は
20代後半頃に勤めてい会社の同僚。

久しぶりに会ったけど変わらない。
お互い細かい劣化は見えないフリして昔話に花を咲かせていたら
その元同僚の1人が不意に出して見せてくれたものがこれ

image

image
なんと彼女の寝顔の写真(よく席で仰向けで寝ていた)をハサミで切ってテキトーに工作して作ってある。当時僕が住んでいた所の住所と電話番号が載っているので、間違いなく僕が作っているのだと思います。

◎ニッチー電卓「極悪非道版」非売品…

全く記憶に無かった。でも卍マークがたくさん入っていて自分で作ったモノっぽい。このころから変なモノ作ってたんですね〜と笑って見せてくれたけどもこんなモノをずっと持っててくれてる事にビックリしたし、うれしかった。

当時こういう内輪受けグッズがブームでよく作っていました。デザイナーの内職として「ププッピ堂」と言う屋号でロゴマークや名刺とか作って密かに活動していたのです。いまだになんとか堂っていうの好きだよね~と言われますが、めんどくさくなくてそれっぽいので○○堂ってつけてるだけなのです。

ニッチ―というのは彼女の愛称で、当時大学出たての彼女はちょっと人と違ったオーラを放っていて、たとえば皆で普通に歩いている時になぜか彼女がドブに落ちたり、ランチの帰りになぜか彼女だけカラスに攻撃を受けたりするという「宿命キャラ」でしたので皆の人気者でした。
でも一方で意外と計算高いのではないかとも言われており、本当は極悪説も同時に持っていた彼女…
多分その流れでグッズ作りなどの創作意欲をそそられて色々作ったのだと思います。そう考えると今悪G堂が存在するのも彼女のおかげなのかもしれません、いやそうに違いありません。
しかし久しぶりに涙流して笑った。笑える昔話が出来る人とは縁が切れませんね。
2人ともありがとう\(^o^)/
逆に会えば愚痴や人の悪口連発の人達とはできるだけ会いたくありません。
そんな暇じゃね~し、人生あっちゅうまですものね~